「え、こういう本が出ていたのか」。書店や図書館で書棚を見ていて、思わずつぶやくことが
あります。新聞やインターネットの出版情報には人並みに気を付けているつもりですが、それで
もこのつぶやきはしばしばです。
これと同じようなつぶやきを、研究の仕事で専門領域と思っている分野の研究論文についても
経験します。私の場合、それは、『日本語学論説資料』の目次を見ているときに頻繁です。
専門領域だと思っているだけに、その存在を知らなかった論文に遭遇するというのは由々しきこ
とです。単なる驚きのつぶやきでは収まらず、反省・自責というべき思いを経て、そして、読む
べきだった論文に出会えた安堵感や喜びにつながります。
ひとくちに日本語学と言っても、関係する雑誌や紀要の数や、そこに発表された論文の数は
大変なものですから、その一つ一つの現物を手にとって漏れなく追いかけるのは極めて困難です。
その困難さは、インターネットに公開された雑誌・紀要や研究論文の電子情報についても同じこ
とです。一人の研究者の手に負えるものではありません。
もどかしさや不安とも言うべき研究者のそんな困難を『日本語学論説資料』は大きく減らして
くれます。そこには、大学・研究機関・出版社から出る雑誌や紀要などに発表された数多くの
論文の本文が、縮写される場合はあっても基本的に元の姿で収録されています。
論文は、国語史・文法・語彙・文字表記・音韻・方言などの分野に分類され、横長判型で薄緑色
表紙の分厚い5分冊となり、2000年以降は同じ内容がCD−ROMに納められてもいます。
上で触れた「目次」は、掲載誌・著者名などの詳細な情報を備えていて、単に印刷物の目次とし
てだけでなく電子化され検索も可能な「収録論文一覧」としても用意されています。
私にとって『日本語学論説資料』は、あることも知らない雑誌や知っていても手にすることが
できない雑誌、そこに掲載されていたためにひょっとしたら読まずに過ごしてしまったかも知れ
ない論文、そういう論文に、単に書誌情報だけでなく、本文の内容・姿そのままで出会わせてく
れる、大切な拠りどころです。
もちろん、ここには、もっと広く知られた雑誌に載った数多くの論文も、繰り返しますが本文
が元の姿で、さらに言えば紙媒体に印刷された姿で、一覧できます。
先行研究からの積み重ねが求められる研究という営みにとって、それを志し始めた学生・大学院
生のころからも含めて、きちんと向き合って親しみ続けることが欠かせない資料です。
こうした資料が刊行され続けるためには、論文の発掘・選定や編集・刊行にあたる方たちのご
労苦とともに、それぞれの論文の執筆者の方からの著作権にまつわるご理解とご協力が欠かせな
いに違いありません。そのことを忘れず、『日本語学論説資料』がさらに充実して持続すること
を心から願っています。
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