英語学論説資料について
論説資料は独特の存在価値を持つ。研究者用の文献は図書館、書店に行けばいくらでもある。
しかし、若い研究者が自分にとってもっとも適した参考文献は何か、ということを真剣に考えた
場合、ただちに適切な文献に出会えるとは限らない。指導する先生が最適な参考書を教えくれる
とは限らない。専門化すればするほど先生の関心と自分の関心がぴたりと一致するとは限らない
からである。
和辻哲郎が当時台頭してきたキルケゴールの本を拝借するためにある先生を訪ねたところ、
貸してくれたついでに内容についての説明があった。しかし、その説明は当を得ていなかった。
英語学関係の訳書もたくさんある。しかし、注意しないと誤訳は意外にたくさんある。
参考文献の解説文もよく見かける。しかし、解説者自身の理解が間違っている場合がよくある。
国内で、大正以降の英語学関係書で絶版になっている名著の復刻版が出版されたことがある。
しかし、それはごく近代の書物であるにもかかわらず初版でなかったり、現在でも入手できる
書物、あるいは誤訳の目立つ書物であったりした。それでは害をなすこともある。
資料というものはその本質上、初出でなければならない。
『英語学論説資料』は、著者自身が発表したままに写真復刻したものである。
これなら間違いない。
著者自身が書き、校正を加えたそのままかたちになった本資料で勉強することができる。
毎年、国内で発表される論文は数え切れない。
いかにインターネットの発達した現代でも、そのすべてを博捜して閲覧することは不可能である。
図書館で『英語学論説資料』を検索すれば、原著者の息吹の伝わる唯一無二の原典にお目にか
かれる。研究者を目指す人は、この宝の山を目の前にしているのである。
もちろん、そのすべてが優れた論文ではないであろう。玉石混淆の中から自分の一生の研究の
方向を決めるかもしれない論文を見いだす眼力を持っているかどうか資質が問われる。
そのこと自体が勉強である。
そういう機会を与えてくれるのが『英語学論説資料』である。
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